田上鍼灸院

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童話 

《忘れないで》

~キーンちゃんのこと~

 これは私がキンドルでネット出版した童話です。稚拙なものですが、多くの方にお読みいただきたいとの思いから、このホームページにも載せることにしました。

 この童話は2005年に読売新聞大阪本社版に連載されたものに、少し手を加えたものです。楽しいお話ではありませんが、私は皆さんに読んで頂きたいと思っています。
 かつて私は、次男を生後間もなく亡くしました。私も妻もそして当時4歳になったばかりの長男も、いきなり冷たい海に投げ出されました。岸も船も見えない海で、私たちはもがきました。
 もともとこの物語は、この経験したことのない混乱の最中に発生した、妻の記憶の空白の時間を埋める必要が出来た時のための記録でした。人の一生の中では、いろんなことがあります。その中には忘れていいこと、忘れてはいけないこと、知らなくていいこと、知っていたほうがいいことがあると、私は思っています。あの混乱の時期、彼女が知らないところで家族がどうもがいていたのか、適当な時期が来たら、彼女はそれを知っておいたほうがいいと私は思ったのです。
 しかしその記録を彼女に見せる様を想像してみると、それがずいぶん残酷なことのような気がしてきました。そこで少しでもショックを和らげるために、息子に語り手になってもらう童話の形をとることにしました。
 ところがその童話を妻に見せる前に、ひょんなことから新聞連載の話が出て、そこにもうひとつの問題が出てきました。不特定多数の人に見られる可能性があるため、まずは自分の知らないうちに、私の勝手で語り手になってしまっている息子の了解を得る必要が出てきたのです。恐る恐る話をしたら、彼は『忘れないで』の意味をわかってくれ、新聞掲載の了解を得ることができました。そして今回の公開も、了解してくれました。ちなみに肝心の妻は、新聞掲載後もなかなか読んではくれませんでしたし、やっと読んでくれても、彼女の反応は映画のような感動的なものではありませんでした。 でも私はそれでいいと思っています。空白は、静かに埋まれば良いのです。そして静かに歩きだせば良いのです。
 『SIDS家族の会』という会での活動で、私は赤ちゃんを亡くしたたくさんの家族と出会いました。彼らの多くは「自分は世の中でたった一人、悲しみの海を漂っている」と思っていました。この童話の小さな公開で、そんな方たちに「あなたは一人じゃないよ」という声が少しでも届けば幸いです。そして空の上からの「いっぱい生きて!」という可愛いエールが、読む人の心に響くことを祈っております。

 お読みになって、この童話を気に入られた方は、「キンドル・田上克男・忘れないで」などで検索し、中内彬仁氏による挿絵が付いたキンドルのネット童話 (300円なり)をお買い求め下さいませ。私は中内氏の挿絵を最初に見たとき「そう、こんな風だった」と懐かしい思いがしました。そして彼のファンになり ました。
 *よろしければ、このHPのメールフォームからご感想などお聞かせくださいませ。  





《プロローグ キーンちゃん》

ぼくは拓。小学校五年生だ。六つちがいの弟がいるから、小学校に入ったときから、まわりの人には「お兄ちゃん」と呼ばれている。でも本当はその二年前から、ぼくはお兄ちゃんなのだ。そう、ぼくにはもうひとり、弟がいた。名前は健ちゃん。健ちゃんは、今はもういない。元気で生まれたけど、次の日に死んでしまったんだ。

ぼくは4才になったばかりの保育園児だった。そのころぼくには、とってもなかよしの友達がいた。名前をキーンちゃんという。キーンちゃんとぼくはとても気があって、まるで仲のいい兄弟のようだった。よく話をしていた。けんかはしたことがない。
ただふたりの間には、少しふつうでない事情(じじょう)があった。彼の姿はだれにも見えないのだ。じつはぼくにも見えない。声もだれにも聞こえない。ただ、ぼくにだけ聞こえるのだ。キーンちゃんの声が、頭の中で聞こえるのだ。それもそのはず、キーンちゃんは幽霊(ゆうれい)・・・、いやそうではではなくて、たぶん天使だった。だからだれも彼を感じることはできないのだろう。

キーンちゃんと出会ったころ、ぼくは『天使』ということばを知らなかった。『幽霊』だって、ほかの友達と話に出てくることはあっても、それはアニメの話。そんなにこわいものとは思っていなかった。気の会う友達キーンちゃんがどんな顔だかわからなくても、どこのだれだかわからなくても、ぼくたちは何もかまわなかった。なかよしだった。
彼が話しかけてくるときに、まず左耳のおくのほうで「キーン」という音が聞こえる。「キーン」は少しいたい。でもそのあとに聞こえる声はとてもやさしく、それに気持ちよかった。ぼくはその声が語りかけてくるのが待ち遠しくなり、声の主とすぐになかよくなった。そしてすぐに、昔からの友達のような間がらになった。彼は自分の名前を知らないと言った。そこでぼくは彼のことを「キーンちゃん」と呼ぶことにした。キーンちゃんもその呼び名を気に入ってくれた。

今でもぼくたちはなかよしだ。ただ、このごろキーンちゃんが少しずつ遠くに離れていくような気がする。ぼくはなんとなく知っている。もうじき彼の声が聞こえなくなる日がくる。そしてやがてぼくは自分が天使のキーンちゃんと友達だったことも、忘れてしまう予感(よかん)がする。忘れてしまう予感はするのだけど、忘れてしまいたくない。だから今、この物語を書いておこうと思う。今のうちに書いておかないと、忘れてしまうかもしれないから。キーンちゃんに頼まれたわけではない。でもぼくが「キーンちゃんのことを、どうしても書いておきたいんだ」と言ったら、「よろしくね!」と答えた。もちろん顔は見えないけど、よろこんでいるのはすぐにわかった。そしてこう言った。
「世の中にはね、忘れたほうがいいことと、忘れてはいけないこと、それに忘れたくても忘れられないことがあるんだよ」

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《産まれる》

2月のそんなに寒くないある日、母さんに二人目の赤ちゃんが産まれそうになった。ぼくが一人目で、産まれてくるのはぼくの弟だ。「こんどは女の子かな?」と言う人もいたけど、ぼくには弟だとわかっていた。ちゃんと理由がある。
母さんのおなかがだんだん大きくなるのがおもしろくて、うれしくて、ぼくは何回も母さんのおなかに手を当てたり、耳を当てたりしていた。その日も「弟?妹?」と声に出して聞きながら、左の耳を当てた。するとぼくの耳が、赤ちゃんにトントンとけられた。こういうことは何度かあったんだけど、そのときはけられたとたんに「キーン」という音がして、そのあとに声が聞こえたのだ。「弟だよ!」びっくりしてふりむいたけれど、父さんも母さんもどうやら気づいてないようだ。もう一度耳を近づけようとすると、母さんのおなかにさわる前に、もう一度「弟だってば!」とはっきり聞こえた。それがキーンちゃんとのはじめての会話だった。
もういちど父さんと母さんを見たけど、やっぱりキーンちゃんの声は、ぼくにしか聞こえないみたいだ。それにキーンちゃんとの会話には「声」がいらないことが、ぼくにはすぐにわかった。ぼくが話しかけるときは、心で話せばいい。そしてキーンちゃんから話しかけてくるときには、さいしょに耳の奥で「キーン」と音がすることもすぐにわかった。どこにいてもどんな時でも、だれにも聞かれずに話ができてしまうなんて、ちょっとふしぎな気がしたけれども、こわくはなかった。それより、ぼくだけの秘密(ひみつ)ができたのは、なんだかちょっとおもしろかった。それにこの時、弟ができるのがぼくにだけ先にわかって、ぼくはそれも何だかとってもうれしかった。

「お兄ちゃんになるのが、こわくないの?」
キーンちゃんと付き合いはじめてしばらくしたころ、彼が聞いてきた。
「じぶんが『お兄ちゃん』になるなんて、そりゃなんだかうれしいもこわいもあるけど、でもやっぱり『うれしい』のほうが勝ち!」
ぼくはそう答えた。キーンちゃんは
「それはよかった」と言った。

赤ちゃんはほんとうは三月に生まれる予定(よてい)だったんだけど、ちょっと早くなったらしい。どうやらせっかちな性格のようだ。父さんがきのうの朝、神戸と鹿児島のおばあちゃんに電話をしていた。
「そうです。きゅうにシュッケツがあって・・・あと一ヶ月ですけれど・・・はい、だいじょうぶだそうです。…ええ、むりにとめないほうが…。そうです。今から私もいっしょに行きます。…はい。よろしくおねがいします」なんて言っていた。ぼくを保育所へつれてきたあと、父さんは母さんを連れて病院へ行った。そして母さんはいっぱいがんばって、赤ちゃんが産まれた。保育所に電話があったって、先生が教えてくれた。すこし早く産まれたけど元気だって。「お兄ちゃん、おめでとう」って言われた。ヤッター!ばんざい!弟ができたぞ!早く会いたいな。

弟が産まれたのは、お昼すぎだったらしい。キーンちゃんはいそがしかったのか、このとき呼んでみても、返事がなかった。

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《たいへんなことなんだ》

その日の朝、保育所に行く用意や母さんの入院の準備(じゅんび)をしていたら、
「赤ちゃんが産まれるって、たいへんなことなんだよ」
キーンちゃんが、いきなりそう言った。
「そんなこと、ぼく知ってるよ」
ぼくはすぐにこう答えた。
そうだ。父さんが電話するのを聞いているうちに、ぼくは急に自分が産まれたときのさわぎを思い出していた。もちろん赤ちゃんのぼくがおぼえているわけないから、あとから聞いた話が思い出になっているのだ。
ぼくが産まれるとき、ぼくがなかなか出てこなかったので、母さんも父さんもたいへんだったらしい。母さんは何時間もがんばったので、こめかみと言うところに、いっぱいナイシュッケツというのをしたらしい。父さんはずっと母さんをささえていて、母さんに思いっきりなんども腕(うで)をつかまれたので、腕にたくさん傷(きず)ができた。ぼくがやっと産まれたあとも、ふたりは一日くらい自分の傷に気づかなかった。「必死(ひっし)」って、こんなことを言うのだろう。
おぼえてないけれど、母さんだけでなく、産まれてくるぼくもきっと苦しかったと思う。看護婦(かんごふ)さん二人が母さんのおなかを思いっきり押して、おばあちゃんと父さんは肩をささえた。そして便所そうじのパッコンパッコンするような道具で、ぼくはお医者さんに頭をなんどもギュー・パッコンと引っぱられた。すったもんだのすえやっと産まれてきたぼくの頭は、だんだんになっていた。
お医者さんはひどいことするなあ。父さんは今でも
「お正月のおかざりもちみたいだったよ。みかんをのせて写真をとっておきゃあよかったなー」と言ってわらう。父さんもひどいこと言うなあ。
そうそう、あのときの看護婦さんは、母さんがぼくを産むのを手伝ったあと、「結婚(けっこん)しても、自分はぜったい子どもを産まない!」と言ったらしい。あの人は、今どうしているだろう。あんなこと言っておいて、今頃もしだれかのお母さんになっていたら、女の人って、お母さんになる人って、すごく忘れっぽいのかえらいのかどっちかだ。
「子どもを産むってこんなに命がけで、こんなにたいへんなことなんだ。それでもお母さんたちは、子どもを産む。ねえ、それってやっぱりすっごく、すっごくえらいよね!」
ぼくはキーンちゃんに、そんなふうな思い出話をした。
「そうだったね。きみはたいへんだったんだよね。そうだよ、とにかくたいへんなことなんだよ。何しろお母さんや赤ちゃんが、死んでしまうこともあるんだから・・・」
そう言った。キーンちゃん、ぼくの過去(かこ)をけっこう知っているようだった。

「ぼくがおなかの中にいる間、母さんはずーっと『つわり』というのがあって、ずいぶん苦しかったらしいよ。それに産まれるとき、ぼくも母さんもたいへんだったけど、産まれてしばらくしてから、ぼくは体が黄色くなって死にそうになったんだって。それで、血をぜんぶかえっこすることになってね。父さんも母さんも病院の先生たちも、そのための血をさがすのに電話したり、救急車(きゅうきゅうしゃ)を呼んだり大さわぎ。ぼくの血はAB型(がた)だけど、けっきょくO型の血で助けてもらったんだ。
ずっと後でこの話を聞いたときに、父さんが言った。『君は思いっきり産まれたがって産まれた。そして産まれたあとも大騒ぎがあって、それでも必死で生きたがって今生きている。きみは父さん母さんだけでなく、いろんな人のお世話になって産まれ、生きることができたんだ。そのことを忘れずに、大きくなったら今度は自分の力で人生を拓(ひら)いていくように『拓(たく)』と言う名前をつけたんだよ。いつかだれかに、何でもいい、そのときのお返しをするんだ。そのうちにわかっておくれよ』 何をどうわかるのか、今のところぼくにはまだちっともわからないんだ」
 ここまで話したところで、キーンちゃんがこう言った。
「そのうちわかるよ」
「ふーん。でもどうわかるかは、教えてくれないよね?」
「うん」 
「いいですよー。そうかんたんに答えがわかったら、おもしろくないもんね」
「ふふっ」
「今度も、赤ちゃんを産むのはたいへんだったのかな?」
「そうだね。でもきみのときより、時間がかからなかったから、お母さんは産むのは楽だったかもしれないね」
「キーンちゃん、何で知ってるの?」
「何ででも」
「ふーん」

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《みんなうれしいこと》

次の日の朝、ぼくが起きたら、もう父さんはいなかった。夜中に母さんのいる病院から何だか用事があるっていう電話があって、もう母さんのそばに行っているらしい。ぼくは保育所に来ている。たぶんぼくも夕方には、母さんと赤ちゃんがいる病院につれて行ってもらえるだろう。うれしいな。きのうから神戸のおじいちゃんとおばあちゃんが来てくれていたから、保育所にはおばあちゃんと行った。きっとみんなでワイワイと、赤ちゃんに会いに行くんだ。
夕べ、ぼくは産まれたばかりの赤ちゃんのことを、いっぱい聞きたかった。だけど父さんは、ぼくとは少ししか遊んでくれなかった。そしてとてもうれしそうに、おいしそうに、おじいちゃんとお酒をのんで、話をいっぱいして、よっぱらって寝てしまった。寝たまま笑っていた。
本当のことを言うと、ちょっとくやしいと思っていた。このごろ父さんも母さんも、産まれてくる赤ちゃんの話ばっかりしていた。それくらい待ちどおしかったんだろうけど、なんだかぼくのことはほったらかしみたいで、産まれてくる赤ちゃんのことを、ちょっときらいになりかけていたんだ。でも、お兄ちゃんになったとたんに、
「どんな名前になるのかな? 名前はぼくがつけてあげようかな」
なんて思ってしまう。おかしいな。
ふとんに入ってから、キーンちゃんが
「拓ちゃん、すねてるの? 赤ちゃんのこと好き?」
と言ったので、ぼくは
「好きですよー。すねてなんかいませんよー! 赤ちゃんが産まれて、うれしすぎるんだよ!」
と答えた。じっさいうれしすぎて、こんなふうに話しかけられるまで、キーンちゃんのことはわすれていたくらいだ。そして
「弟はできたし、とうぶんおばあちゃんと遊べるし・・・」
と思っていたら寝てしまった。

だから今朝は父さん母さんがいなくて、少しさびしかったけれど、ぼくはスキップで保育所に行った。おばあちゃんは何か考えながら歩いている。なぜか元気がない。あんまりゆっくり歩くから保育所につくのが遅くなってしまった。おばあちゃんはぼくとわかれたあと、先生たちに深刻(しんこく)な顔をして、何か話をしていた。そしてなんどもお辞儀をして、帰っていった。

なんだか変だった。キーンちゃんが来てくれたらいいのに・・・と思ったが、お昼ごはんが終わっても、キーンちゃんは来なかった。父さんのお迎え(むかえ)が待ち遠しかったけれど、ぼくは友だちといっぱい遊んでいた。

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《悲しいっていうこと》

ぼくは保育所の庭で遊んでいた。先生が呼んでいる。あっ、父さんだ。赤ちゃんに会える。これからしげちゃんたちと、こま回しするところだったんだけど、そんなことどうでもいい。弟にはじめて会うんだ。
「赤ちゃんのとこに行くね!」みんなにそう言って、ぼくは走った。父さんにおもいきりどーんとぶつかった。
父さんはしゃがんでぼくの顔をじっと見た。ぼくも父さんの顔を見た。なんかへんだった。何だ何なんだ。父さんはおかしい。おかしいぞ。
父さんはこう言った。
「いいか、拓。よく聞いてくれ。赤ちゃんがね、昨日産まれたでしょう。拓はお兄ちゃんになって、今日会いに行くんだったよね。よろこんでいたよね。でもね、でもね、赤ちゃんね、死んでしまった」
父さんはへんだ。今なにを言ったんだ。・・・あれっ!父さんが泣いている。下むいて「はー」って言ってる。だまってる。涙(なみだ)がいっぱい落ちている。でも、いま父さんは何て言ったんだろう。
父さんは、また話しだした。
「赤ちゃんはね、元気で産まれたんだけどね、それからねんねしてね、そのままずうっと起きれらなくなっちゃったんだよ。うん。どうしてだかわからないんだけどね、元気の力がなくなったんだろうね。がんばったけど、もう目がさめなくなってしまったんだよ。もうこれからずーっと起きないんだ。うん。これはね、死んだってことなんだ」
父さんはまた下むいてはーってしている。何なんだ?『死んだ』って何なんだろう。父さんは泣いている。下を向いていて顔は見えないけど、地面にぽたぽた落ちているのは、たしかに父さんの涙だ。父さんが泣いている。父さんが泣いている。

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《父さんのおねがい》

なんども「ウン。ウン」と言ってから、父さんはまた話しだした。
「これから父さんといっしょに、母さんと赤ちゃんに会いに行こう」
「そいでね、たのみがあるんだけど…。父さんはいつも拓が泣いたとき『拓!男の子が、このくらいのことで泣くんじゃないっ!』って言ってるよね」
そのとおり!
「それなのにへんなおねがいだと思うけど、父さんは泣いてしまってるよね。母さんなんか、今日ずっと泣いてるんだ。でもこれ、とくべつなんだ」
「そいでね、拓。父さんや母さんが泣くのを、しばらくみのがしてくれるか?」
何を言ってるんだ?父さんは、さっきからわけのわからないことばかり言っている。
「拓はお兄ちゃんになることを楽しみにしてただろう?父さんも母さんもおんなじだ。赤ちゃんが産まれてね、とってもうれしかった。赤ちゃんかわいかったよ。・・・その赤ちゃんが死んでしまってね・・・。それがとても残念(ざんねん)で、悲しくてね。悲しいってわかるか?ん?とっても残念でくやしくて、なみだがどうしても出てしまって、止まらなくなる気もちの、あー、そんなことだよ」
そんなむちゃくちゃ言わなくてもわかるよ、父さん。父さんは、何を言っているか自分でわかっているの?父さんは泣いてしまっているじゃない。涙が止まらないんだよね。それって悲しいってことだよね。まだ泣くのをこらえているつもりなの?ぼく、もうわかっているよ。もう涙のことは、言わないでいいったら!
 
父さんはまた話しだした。
「それからね、母さんは、赤ちゃんがおなかにやってきてから、うんとうれしかったんだけど、ほら!『ゲーゲー』してとってもつらくてしんどかっただろう?それだからそのぶん、産まれた赤ちゃんのことを、とってもかわいくてだいじに思っていたんだ。だから赤ちゃんが死んじゃって、オッパイをのんでくれないことがあんまり悲しいんで、そのぶんとってもいっぱい泣いてるんだ。オッパイが涙になって出てくるんだ」
「そいでね、これから会う母さんは、ちょっとへんで、だいぶおかしいよ。だから母さんは、今は拓の母さんじゃないみたいだけど、ほんとにほんとはちゃんと母さんだからね。これはあんしんしていいよ。ただね、母さんも今元気の力がなくなってしまいそうなんだよ」(なにっ!それはたいへんじゃないか。赤ちゃんだけじゃなくて、母さんもずっと目がさめなくなるの?死んじゃうの?)
・・・と思っていたら
「拓、母さんを見てびっくりした顔をしないでね。それから、母さんに元気の力が出てくるように、父さんをてつだってね。父さんも元気の力が、あんまりないけど、しばらくいっしょにがんばってくれる?」と聞いた。
「うん!わかった」
ぼくはそれだけ言って、保育所のかばんをとりに行った。
父さんのそばまでもどったら、まわりにあつまってきた先生たちが泣いていた。先生たちと少し話をしたら、父さんはおじぎをした。ズボンのもものところを手でぎゅっとにぎったまま、あたまがあがらない。またいっぱい泣いているのが、うしろからでもわかった。先生たちもおじぎをしては泣いていた。おとなはあれで、何をしているんだろう?みんなへんだった。いつのまにか友達が何人かあつまってきていた。みんな口をぽかんとあけてぼくたちを見ていた。「先生たちは友達に、何て言うのかな?」と思っていたら、父さんがぼくの横にやって来た。ぼくの手を引いて車の方に歩き出した。もう一度ふり向いたら、やっぱり先生たちは泣いていて、友だちは口をぽかんと開けたままだった。だれかがなんとなくちょっと手をふったので、ぼくも手をふろうとしたけれど、なんとなくやめた。

このとき、ぼくは決めたことがある。『ぼくは泣かない!』父さんの言っていることはよくわからない。でも泣かないことは決めた。このさい『男の子だから』というのはどうでもいい。ぼくが泣いたら父さんも母さんも、こわれてしまうかもしれないから。さいごの元気の力がなくなってしまうかもしれないから。そしたら母さんは死んでしまうかもしれない。父さんも死んでしまうかもしれない。そしたらぼくも、きっと死んでしまう。だからぼくは泣いてはいけない。
 キーンちゃんは、さっきまで呼びかけても、なぜかへんじをしてくれなかった。今はだまっていても、そばにいるのはわかっていた。ぼくが泣かないときめた時に「ウン!ウン!」とうなずいているのがわかった。できることなら、後ろからそっとぼくのかたに手を当ててやりたいと思っていることもわかっていた。だまったまま、ただそばにいてくれた。それいじょう何かされると、ぼくが泣いてしまいそうなことを、キーンちゃんはきっと知っていた。
車が病院に近づいたころ
「さっきまでごめんね。ちょっといそがしかったんだ」
キーンちゃんがそう言った。ぼくはただうなずいた。

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《元気作戦(さくせん)のこと》

車のなかで、ぼくは母さんを元気にする作戦を考えていたので、だまっていた。ぼくがあんまりだまっていたから、父さんはときたま
「今日はあんまりさむくないね」とか「おなかすいてないか?」とか、ぼくに聞いてきた。今は泣きやんでいるけれど、ぼくに泣くところを見られたので、父さんはきっとうろたえているのだ。ぼくはそれでもだまっていた。だいぶあとで聞いたけど、父さんは「こいつも、えらいショックをうけたから、どうしたらよいのか分からないんだな。」と思っていたらしい。ちがう。ぼくはただ元気の力を、むだ使いしたくなくて、集中していたんだ。そして作戦を考えていた。
作戦ができあがってから、キーンちゃんに聞いてみた。
「ぼくやるよ。いいよね?」
「すごいよ!すごい作戦だよ拓ちゃん。きみにしかできない。がんばって!」
キーンちゃんは、そう言った。そう、ぼくにしかできない。ぼくがやらなきゃ、いけないんだ。

やがて病院についた。ぼくと父さんは、母さんのへやに入った。母さんはベッドで少しだけからだをおこしていた。ぼくの方を向いたかおは、やっぱりいっぱい泣いていた。目もそのまわりも赤かった。父さんが言ったとおり、母さんがへんなのはすぐにわかった。
神戸のおじいちゃんやおばあちゃんが、ベッドのまわりにいた。いつの間にか鹿児島のおじいちゃんとおばあちゃんも来ていた。はなれた所に看護婦さんもいた。みんなこまったような、おこったような顔をしていた。きっと今まで泣いていたんだろうな。
おばあちゃんが泣きながらしゃがんで、ぼくをだっこしようとした。それをすりぬけて、ぼくは作戦を実行(じっこう)した。
大きくいきをすって、すって、そして大きな声で歌を歌った。歌いながら、むちゃくちゃにおどった。おどりながら、母さんのベッドのまわりをまわった。みんながびっくりした顔でぼくを見ているのがわかった。もうだれも泣いていない。父さんが「こらっ!」と小さくさけんだような気がした。「よし!」ぼくは踊りも歌もやめて、母さんのおなかの上に手をあてて、お祈りしながら言った。
「元気の力を充電(じゅうでん)してあげる」
へやの中は、シーンとしている。母さんは、たしかに泣きやんだ。そして、おなかのうえにあるぼくの手をにぎってぼくを見た。ぼくも母さんを見た。近くで見ると、目はそうとう赤かった。そして母さんだとわからないくらい、いつもとはちがっていた。
母さんは「ありがとうね」と言ったらまた泣きだした。「ありがとう」の声は、聞こえないくらい小さかった。これはいけないと思って、あと二回おどって歌った。母さんのおなかに、いっぱい充電した。とてもつかれた。母さんはまた「ありがとうね」と言った。そして
「母さん、拓の充電で、だいぶ元気の力もらったから、元気になりそう。ありがとうね。ありがとうね。ありがと・・・」
と言って、そしてまた泣き出した。まわりの人たちも泣き出した。これじゃあ作戦が成功(せいこう)したのかどうかわからない。「このあとどうしよう」と思って母さんを見ていたら、だれかがぼくをうしろからぎゅっとだいた。
もっと充電したかったけど、ぼくはつかれてもう何にもできない。「元気になりそう」という母さんのことばを信じるしかない。
「よくやった!よかったよ、拓ちゃん! 作戦成功だよ!」
でもキーンちゃんの声もやっと聞こえたくらい、ぼくはつかれていた。

父さんはお医者さんとむずかしい話をしていたけれど、やがてぼくに「このへやにいてあげてね」と言って、おじいちゃんたちとどっかへ行ってしまった。母さんと神戸のおばあちゃんとぼくがへやに残った。二人はなんだかかんけいのない天気のことなんかを話をしていた。そしてときどき思いだしたように
「何でやろ?何でやろうね?」
と言って、母さんは泣いた。おばあちゃんは
「なあ、何でやろなー?何でやろなー?」
と言って、泣いている母さんのかたをさすっていた。それを何度もくりかえした。
「ふたりとも『何でやろ?』ばっかり言っておかしい」
と思ったけれど、ぼくは言わなかった。ずっとだまっていた。
キーンちゃんが、ぼくに何か言おうとしているのがわかった。
「ぼく、わかってる。そっとしておくよ」
ぼくは、キーンちゃんにそう言った。

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《オツヤ》

やがて母さんとおばあちゃんを病院に残して、ぼくたちは赤ちゃんをおうちにつれて帰った。赤ちゃんは、白い箱に入っていた。かわいい赤ちゃんの服を着ていた。この服は、母さんと父さんとぼくの三人で赤ちゃん用品屋さんに行って、赤ちゃんがおうちに帰るときのために選んだ服だ。もちろんこの服を着る赤ちゃんは、元気なはずだった。あのときだれも「元気でない赤ちゃん」なんて考えていなかった。でも赤ちゃんは死んでしまった。
家に帰ってきた白い箱の中の赤ちゃんは、死んでいるっていうけど、ほんとは寝ているだけかもしれない。かわいい弟。ほっぺをそっとさわったら、冷たかった。動かなかった。赤ちゃんのまわりはフワフワのきれいな布に囲まれているけれど、箱の中にはドライアイスが入っているらしい。夏にアイスクリームに付いていたドライアイスで遊んだときは、すごく冷たかったけど、赤ちゃんは寒くないのだろうか。死んだら寒くないのだろうか。
そのとき「ねー、キーンちゃん」とよびかけてみたけれど、返事はなかった。またなんだかいそがしいんだろう。

そのうち黒い服の知らないおじちゃんがきて、オツヤがどうの、オソウシキがどうだこうだと、お父さんと話をしていた。やがて知らないおじちゃんは、小さな机(つくえ)や白い布や小さいおちゃわんをもって来て、何かじゅんびをはじめた。それからおぼうさんがやってきて、ぼくにわからない「おきょう」というのを、ひとりでいっぱいしゃべった。ぼくは鹿児島のおばあちゃんにだっこされていたけれど、何もしゃべっちゃいけないふんいきだった。家じゅうこおったみたいで、泣きだしたいみたいで、なんだかとっても苦しくて重かった。
父さんは、おぼうさんのおきょうの話がおわると、また黒い服の知らないおじちゃんやおぼうさんと、むずかしい話をしていた。父さんはさっきまでときどき泣いていたのに、よく話ができるな。元気の力がでてきたようにはみえないけどな。
ばんごはんを食べた。家の中には、鹿児島のおじいちゃんとおばあちゃん、神戸のおじいちゃん、父さんとぼく、それに白い箱の中に弟赤ちゃん。家の中にはいつもより人がいっぱいなのに、とてもさびしかった。大人はお酒をのんでいたけれど、昨日とちがってちっともおいしくなさそうだ。母さんは病院でおばあちゃんとふたりだけで、さびしいだろうな。ぼくは遊んでもらえそうにないけど、父さんのそばをうろうろしていた。(赤ちゃんは寒くないかな?)と思って、ときたま箱の中を見にいったら、まだ寝ていた。(あったかいおふとんに寝たらいけないのかな?)と思っていたら、おばあちゃんが
「あんたたちはもう寝なさい」と言って、ぼくと父さんを無理やりお布団(ふとん)のところへつれて行った。父さんとぼくは、しかたなくお布団にはいった。
おじいちゃんたちふたりはけっこうよっぱらって、大きな声で話をしていた。
「こんなときに、ちょっと声が大きすぎる」と言いながら、父さんが立ち上がった。すると鹿児島のおばあちゃんが
「いいから、あんたは寝てなさぃ!」と言って、父さんの手を強く引っぱった。それまでおばあちゃんはぼくのせなかをトントンしていたんだけれども、このときは迫力(はくりょく)があった。父さんはしかたなくまた寝た。こんなのいやだなと思ってたけれど、何だかとてもつかれていて、ぼくは寝てしまった。
これが「オツヤ」というものだったんだ。「オツヤ」って何なんだろうと思っていたけれど、「オツヤ」はすきじゃない。

ゆめを見た。赤ちゃんとぼくが遊んでいる。ぼくは赤ちゃんとどうやって遊んだらいいのかわからない。赤ちゃんがわらった。その小さな手がぼくのほっぺをなでる。小さな手をにぎりかえそうと思ったら、その手がひっこんだ。そこで目がさめた。となりに寝ていた父さんが、ぼくのほっぺをなでていた。父さんがほっぺをなでたのが、ゆめだったのかどうかわからない。けっきょく今夜、キーンちゃんは来なかった。ぼくはそれからまた寝てしまった。

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《オソウシキ》

朝になった。朝ごはんはちっともおいしくなかった。やがておぼうさんがやってきて、オソウシキというのをした。おぼうさんは赤ちゃんのつくえの前で、またいっぱいおきょうをしゃべった。みんなだまって聞いていた。ぼくはなんにもわからなかった。それがおわってしばらくすると、黒い服の知らないおじちゃんが「そろそろゴシュッカンの時間です」と言った。父さんは「ちょっとまってください」と言って、赤ちゃんの箱の中にミルクやおもちゃをいっぱいつめた。黒い服の知らないおじちゃんがそれを見て
「プラスチックはカマをいためるので、そういうものは全部出してください」と言った。とうさんは「はあ?そうなんですか」と言って、おもちゃを出した。
「でも、少しくらいならいいですか?ミルクはいいでしょう?飲ませてやりたいんです」と言って、おじちゃんのへんじも聞かずにミルクを入れた。そして、おじちゃんがどこかへ行っているうちに、またいっぱいおもちゃを入れた。父さん!それでいい。
 みんなが立ちあがったとき、父さんが「ちょっと待ってください。ひと言あいさつをさせてください」と言ってみんなをとめた。なにを言うんだろうと思っていたら
「みなさん、ありがとうございました。私は、とても残念であります。いちばん残念なのは、せめて、オッパイ・・・」と言ったところで、父さんは泣きだしてしまった。泣きだしたどころではない。どうしようもなく泣いていた。
「オッパイ・・・オッパイ・・・」
深呼吸(しんこきゅう)をしては「オッパイ・・・オッパイ・・・」、それをくりかえして、また深呼吸をしたけれど、同じだった。手がつけられない。やがておじぎをして、「ひと言」の挨拶はおわった。
「オッパイを飲ませたかった」父さんが言いたかったことは、ぼくにはわかっている。

そのあとぼくたちは、赤ちゃんが入った箱といっしょに「サイジョウ」というところにいった。父さんは箱のふたをあけて、赤ちゃんのあたまをなでた。そして赤ちゃんは、大きな引きだしの中に入れられ、かべの中にいってしまった。ぼくたちは赤ちゃんとさようならをした。

赤ちゃんをサイジョウにおいたあと、帰りみちは父さんが「帰りは歩きましょう。こっちに行くと、人も車も少ないですよ。遊歩道もあります」と言ったので、遠回りをして竹やぶの横の道を歩いて帰ることにした。父さんは車で早く帰っても、おうちでのつらい時間がふえるだけだと思ったんだろう。だれもしゃべらなかった。とっても苦しかった。とぼとぼと歩いた。もう少しでいきが止まるかと思った。そのとき、どこかで鳥が「チッチッチーッ!」と、鋭く鳴いた。みんないっしょに立ちどまった。きっといきをとめていた。そしたら鹿児島のおじいちゃんが、竹やぶの上を見て
「アッ!もずじゃ」と言った。父さんが上を見て
「アー、ほんと」と言った。高い木のてっぺんに、しっぽのながい鳥がいた。もういちど「チッチーッ!」と鳴いて、どこかへとんでいった。何だかくるしいのが少し直って、いきができるようになった。あーよかった。それからまた、みんなだまっておうちに帰った。

おうちに帰ってから、父さんはずーっとかべのほうを向いて、だまっていた。そして、
「こどものおこつひろいなんかに行くのは、いやだな」と言った。それを聞いた神戸のおじいちゃんが
「そらー、そんなことじゃいかん」と言った。
父さんは
「そんなことわかってますよ」とおこったように言った。それからずっとだまっていた。
おじいちゃんたちは、どうでもいい天気の話なんかをしていた。ぼくは鹿児島のおばあちゃんと、おとなしく遊んでいた。なんだかまたいきが苦しくなって、早く時間がすぎれば良いと思っていた。
やっと知らないおじちゃんが呼びにきた。それからみんなで「おこつ」ひろいにいった。

引きだしの中にはいっていた赤ちゃんは、おもちゃといっしょにいなくなっていた。かわりに灰と小さなほねがあった。「おこつ」って何だろうと思っていたら、小さなほねだった。おはしで小さなほねをひろった。
おはしとおはしで小さなほねをわたして、ふたのある小さなおちゃわんに入れた。いつかごはんを食べているときに、父さんのおはしからおかずをもらおうとして、「おはしからとっちゃだめっ!」と、しかられたことを思い出した。「こんなときはいいのかな?」と思いながらみんなで小さなほねをひろった。
赤ちゃんは小さかったけど、もっともっと小さなほねになった。父さんはおはしで灰の中をかきまわし、その小さなほねをいつまでもさがしていた。鹿児島のおばあちゃんが、
「もういいでしょう?」と言って、父さんの手をそっとひっぱったので、父さんはやっとおはしをおいた。ぼくは鹿児島のおばあちゃんに
「赤ちゃん、どこいったの?」と聞いた。おばあちゃんは
「けむりになって、お空にのぼっていったんだよ。あっちで楽しく遊んでいるのよ」と言った。父さんも
「ミルクもおもちゃもいっぱいもっていったからね。ほかの赤ちゃんもいっぱいいるはずだから、おもちゃでいっぱい遊べるよ」と言ったので、ぼくはちょっとあんしんした。
ぼくはちょっとの間、空を見ていた。青い空と白い雲しか見えなかった。大人はみんな下をむいていた。オッパイをのんでいない赤ちゃんも、のませていない母さんもかわいそうだ。でも、どうしようもない。お空のむこうは楽しんだろうか? ぼくは弟と遊べなかったことがとても残念だけど、弟は、お兄ちゃんのぼくと遊べなかったことを、残念だと思うのだろうか?

小さなほねになった赤ちゃんは、小さなお茶わんにつめられ、きれいな白い小さな箱に入ってしまった。そして父さんにだかれて、おうちにかえった。

天国ってお空の向こうにあるんだろうか。父さんもお兄ちゃんのぼくも天国にはいないのだから、
「赤ちゃんはだれと遊ぶの? 母さんもここにいるでしょ?」と聞いたら
「天国に行くと、友だちがいっぱいいるらしいから、いっぱい遊べるんだよ」と父さんは言った。
父さんを見ていて、ぼくは思った。父さんはぼくに言ってるんじゃない。自分に言っている。自分に言い聞かせているんだ。

お空のむこうで元気で遊べるように、父さんと母さんは赤ちゃんに「健(けん)」という名まえをつけた。とても元気という意味らしい。ぼくは
「産まれる前にその名まえをつけておけばよかったのに」と思ったけど、言わなかった。
この日、キーンちゃんはそばにいるような気はするんだけど、なんとなく話しかけてはいけない気がして、ぼくは話しかけなかった。

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《泣くこと》

オソウシキがすんでから、父さんはもうぼくの前では泣かない。でも一人のとき、ときたま泣いているかもしれない。ぼくは弟が死んでから、泣かなかった。ぼくまで泣いたらおしまいだ、と思っていたのかもしれない。赤ちゃんが小さな箱に入って帰ってきて3日あとに、とうとうぼくは泣いた。
鹿児島のおばあちゃんと遊んでいるとき、何だか苦しくなってきて、こわれそうな気がした。そしてとつぜん「おしりっ!うんこっ!ばかーっ!」とわめいてしまった。おばあちゃんはびっくりして「そんなこと言ったらいかんよ」と言った。ぼくは何回か「うんこ。ばかー」とくりかえし言ったら、あとは「わーっ」と泣いてしまった。止まらなかった。困っているおばあちゃんをけったりたたいたりした。わけがわからない。おばあちゃんは、泣きながら暴れるぼくをだいて、自分も泣いていた。泣いてあばれていたら、おばあちゃんがぼくをぎゅっとだきしめたので動けなくなった。しかたなく動かずに泣いていたら、そのうちにぼくは寝てしまった。なんでそんなことをしたのかわからない。
それからぼくはねつを出し、次の日まで寝ていた。もがきながら泣いているときに、キーンちゃんの声がはっきり聞こえた。
「そうだよ。泣いていいんだよ。今はいっぱい泣けばいいんだよ」

やがて母さんが帰ってきた。
思っていたとおり、とても遊んでもらえそうにない。母さんは、かわいそうだった。母さんのオッパイは、自分をすってくれる赤ちゃんがいなくなったことをきっと知らない。だからどこかの赤ちゃんの泣き声がしたら、自分をよんでいるのかと思って、すぐに出てくる。でもすってもらえないので、オッパイがかたくなっていたくなるらしい。父さんは「オッパイが涙になるんだ」と言っていたけれど、母さんはオッパイが出てくると、涙も出てきた。母さんは、きっと健ちゃんにオッパイをあげているんだ。いたくても泣きながらでも、そうしたかったんだ。ときたま向こうを向いて、オッパイをしぼっている。泣きながらしぼっている。

そうして、みんながかなしくおもくるしい日がつづいていた。遊ぶふんいきではない。だいいち、父さんは遊んでくれるエネルギーがないようだ。おばあちゃんはあいてをしてくれるけど、あれはおあいそと言うものだと思う。ちっともみが入っていないもの。ぼくはキーンちゃんと話をしているばあいじゃないと思ったけれど、時たま呼びかけては、たあいのない話をした。キーンちゃんもなんだかうわのそらだった。

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《いっぱい泣くこと》 
それから二ヶ月くらいたったころ、父さんに学生時代の同窓会(どうそうかい)のさそいがあった。さいしょ父さんは母さんに
「今回はことわるよ。今は飲んでさわぎたい気分にはなれない。君にもわるいし…」と言っていた。でも母さんは
「このところしずみっぱなしじゃ、だんなもたいへんでしょ。みんな何も知らないんだし、ぱーっと飲んでくればいいんじゃない?」と言った。
「いいの? 君はだいじょうぶ? じゃあ行こうかな」と言って出かけていった。結局(けっきょく)、お酒を飲むのが好きなんだ。

父さんは男ばっかりの学校を出ていて、友だちはみんな大酒飲みらしい。だから父さんはこの同窓会に行くと、いつもへべれけで帰ってくる。どうやって帰ってきたのか、本人はおぼえていない。ちゃんと帰ってくるかどうか、母さんはいつもそれだけを心配(しんぱい)している。
ところがその日、父さんはちゃんとまともに帰ってきた。なんとよっぱらっていない。ぼくをおこさないように小さな声で、母さんと話をしている。ぼくは寝たふりをして、聞いていた。「カラオケのマイクが回ってきたときにね、こんなに言おうと思ってね、『みんな、すまないがおれはこのあいだ子どもを亡くしたところだ。今はうたえる気分じゃない。ふんいきを悪くしてもうしわけないが、気にせずにやってくれ』ってね。そしたら、『子どもを亡くした』のところで突然(とつぜん)ワーッと涙が出てきて、そらーもうシュウシュウがつかなくなってねー。何ども深呼吸をして何とか立ちなおろうとしたけれど、けっきょく五分くらい泣いていたかな。みっともないと思った。すごく。で、やっと『すまん。』と言った。そしたらだれかがマイクをとって、何のかんけいもない海のうたをうたいだした。それから何もなかったように、みんなわいわいやってね。なぐさめも何もない。ぼくがさっき泣いたのはゆめだったのかと思ってしまうくらいだった。あいつら、なんて言っていいのかわからないで、いっしょけんめい考えて、結局(けっきょく)なぐさめのことばはいっさいなかった。無言で調子を合わせたんだろうね。『よくわかるよ。』なんて言われるよりうれしかった。それからふしぎと、もうからっとしてしまって、涙は出なかった。別れぎわにそばにいたやつに『今日はすまなかったな。』と言ったら『えっ? なに?』とふしぎそうな顔をして、肩をぽーんとたたいてさよならした。へたくそなしばいだったけど、これもうれしかったね」
「『おれんとこもいろいろあってな。また今度な・・・。』と、そんだけ言ってわかれたやつもいた。何があったか知らんけど、あれもうれしかった」
「それにしてもあんくらい思いきり泣いたら、なんかこうすっきりしたよ。恥ずかしかったけれど、もうこれいじょう恥ずかしいことないから、『どうじゃ?何かもんくあっかー?』 ってなかんじでね。ああ、気もちいいいねー」・・・きげんがよくて、声がだんだん大きくなっている。やっぱりけっこうよっぱらっている。
母さんは「行ってよかったね」と返事をしていた。見えないけど、たぶん泣いている。「今日はありがとう。君はもう寝てよ」と言って、父さんはおふろに行ったみたいだ。いつも「カラオケはきらい」なんて言ってるくせに、今はおふろでなんかへたくそなうたをうたっている。
父さんは今日、なかなかいい勉強をした。
① なぐさめのことばがなくても、なぐさめになることがある。
② へたくそなしばいでも、役に立つことがある。
③ いっぱい泣いて、気持ちよくなることがある。
こんだけわかったのなら、母さんじゃないけれど「行ってよかったね!」だ。
「ね!」
キーンちゃんがいるかどうかわからないけど、そう言ってみた。
「そのとおり。じつはぼく、見てたんだ。そう、がまんしないでいっぱい、いーっぱい泣けばいいんだ」
「『見てた』って、父さんのこと?」
「うん。」
「キーンちゃんは、べんりだね」
そんな話をしながら、ぼくは寝てしまった。

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《とんでもないこと》

いろんなことがあった。あれから二年。ぼくはもうすぐ一年生になるところだった。ぼくに二人目の弟がもうじき産まれる。あと一ヶ月だ。ところがとんでもないことが起こってしまった。阪神淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)だ。
一月の朝早く、ドーッという音がしてからだが持ち上がるようなガタガタでとびおきた。ほんとうにとんだ。だきあって立っている父さんと母さんの間にはさまれて、ずいぶん長い時間がすぎたような気がする。まだまっくらだったのに、ぼくには父さんがささえている本棚から、たくさんの本がスローモーションでふとんの上にふってくるのが見えていた。父さんや母さんにしがみついている間、ガラスのわれる音、何かがたおれる音、落ちる音。ほんとうにえらいことだった。まるで巨大怪獣(きょだいかいじゅう)が、建物(たてもの)をつかんでゆすっているんじゃないかと思った。

静かになっても、ぼくはふるえていた。ふいに、父さんがおなかの大きな母さんに
「シュッケツしてないか?」と聞いた。母さんは
「わからない」と言った。
「シュッケツ」と聞いて、ぼくはいっしゅん、健ちゃんの時のことを思いだした。きっと母さんもそうだ。
父さんは
「すぐたしかめてきなさい」と言いながらふすまを開けて
「アッ!ちょっとまった。こりゃえらいこっちゃ。道をつくらんと歩けん」と言って,ふすまの向こうに出て行った。すぐにまたふすまを開け、頭だけ出して
「父さんがここ開けるまで、ふたりともしばらく来たらいかんよ。そこでふとんかぶっときなさい。テレビついたらつけてみて」と言ってふすまをしめた。
父さんは大急ぎでそうじをしているみたいだ。ガチャンガチャンという音は、われたガラスをかたづける音だろう。その間にもゆか下から「ウォーッ」という音がしてへやがゆれ、いろんなものが落ちてくる。母さんとぼくはふとんをかぶってそれを見ていた。何もできなかった。
「ワオー!」「アチョー!」という父さんの声が聞こえる。あれは半分遊んでいる。やがて父さんがふすまを開けて
「ハイ!道ができたよ。ちょっとすごかったねえ。もっとゆれるかもしれんけど、トイレならいちばんあんぜんだろう」と言った。えらくのんきな声だ。でも母さんがトイレに行ったあとで
「健ちゃんのぶつだんがふっとんでいたし、母さんのだいじなガラスのお皿が、いっぱいわれてたんでね、それを見えないようにかたづけたんだ。あれは母さんがヤバイとき用のおしばいだ」とぼくにそっとおしえてくれた。
母さんは
「おなか、今はダイジョウブみたい」と言いながらかえってきた。よかった、よかった。

それからも毎日じめんがゆれた。それで赤ちゃんは早く外を見たくなったのか、やっぱり予定より一ヶ月も早く産まれそうになった。母さんがシュッケツしたのだ。健ちゃんのときといっしょだ。父さんも母さんもそう思ったにちがいない。電話もなかなか通じないので、お医者さんともなかなか連絡できなかった。線路も高速道路もこわれていたので、病院に行くのもたいへんだったらしい。やっと病院についたけど、そこには救急車(きゅうきゅうしゃ)やヘリコプターで、たくさんのお母さんや赤ちゃんがはこばれてきていた。そしてたくさんの人が亡くなったらしい。そんな中で、赤ちゃんは、ぼくの弟は産まれた。
地震のせいで早く産まれて大さわぎだったけれど、それでよかったのかもしれない。じつは、予定日(よていび)のあたりのことを、みんな心配でしょうがなかったんだ。母さんのおなかがだいぶ大きくなったころ、父さんがぼくに
「赤ちゃんが産まれたら、ふたりで赤ちゃんと母さんを守ろうな。産まれて一日目がいちばんあぶない、ヤバイぞ!」と言った。ぼくは「うん」とへんじをした。
「赤ちゃんがまた死んでしまうかもしれない」
「母さんがおかしくなってしまうかもしれない」
誰も言わなかったけど、心では思っていた。だれが「だいじょうぶ!」と言っても、父さんもぼくも、そして母さんも、心配は消えなかった。ただ、だれもそんなことは口にしなかった。ぼくと父さんは作戦を立てようとしていた。でも、作戦ができ上がらないうちに地震があって、さわいでいるうちに、いちばんヤバイ時間はすぎてしまった。赤ちゃんはヤバイ時間を生きのびた。

父さんがいいかげんにかたづけたお家に、赤ちゃんと母さんが帰ってきた。神戸のおばあちゃんは自分のお家がこわれてたいへんなので、鹿児島のおばあちゃんが応援(おうえん)に来てくれた。ぼくはうれしかったけれど、あんまりはしゃぐとおこられそうでがまんしていたら、熱がでてしまった。父さんも母さんも赤ちゃんのおせわで大変だったから、そのぶんおばあちゃんがよくだっこしてくれた。うれしかった。

赤ちゃんの名まえは『周(しゅう)』くんになった。母さんは、健ちゃんが地球を一周して「ハーイ!かえってきました!」と言って帰ってくるかもしれないと思っていた。『いのち』は周(まわ)っているのかもしれない。それで『周』君だ。二人がちがう人間か、生まれ変わりか、ぼくにはどうでもいいことだ。ぼくと健ちゃんと周君、ぼくたちはみんな、とてもたいせつに思われているらしい。それだけでじゅうぶんだ。

「ハーイ!おひさしぶり。お兄ちゃんになったね。おめでとう」キーンちゃんが声をかけてきた。
「あー・・・、ホントに久しぶりだね。このごろたいへんだったんだよ。元気?」
「ごめん、ごめん。すっごくいそがしくてね。でも今度はたいへんだったけど、よかったね」
「ぼくもいそがしかったんだ」
「しばらくたいへんだけど、がんばろうね」
「ウン。よろしくね。あ、言っとくけど、ぼく二年前からお兄ちゃんなんだよ」
「ごめん、そうだった。ありがとう」
「え? 何でありがとうなの?」
何がたいへんなのか、何でありがとうなのかわからないけど、いそがしくなりそうだ。そう。ぼくは小学校に入るじゅんびをしていたんだった。余震(よしん)というのが続いていたけど、少しずつ春が近づいてきた。

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《ふしぎなこと》

テレビでは毎日、地震で亡くなった人のことを話している。母さんが通っていた病院は、病気のお母さんや赤ちゃんばかりが入る病院だったから、ひどい目にあった人たちが、たくさんきていた。母さんと同じへやにも赤ちゃんが亡くなってしまった人が二人いた。四ヶ月も早く産まれた赤ちゃんもいた。父さんは「うちはけっきょく助かったけれど、たくさんの人がたいへんなめにあってるね。『地震のせいででうまくいった』なんて言ったらおこられるね」と言っていた。

じつはふしぎなことがある。地震の少し前に、どういうわけかぼくは父さんと母さんに
「ねえねえ、地震がきたらこんな本棚の横で寝てたら、本棚がたおれるからつぶされるよ。こわいよ!こわいよ!」
と言ったことがある。ふたりは赤ちゃんの話をしているとちゅうだったから、ぼくをむしした。それでもぼくが
「あの何とか大じてんが当たったらいたいよ」
というと、二人で
「あのね、こーんなに本がてんじょうまでびっしりつまってるから、ほら、本棚をゆすっても落ちないでしょ。それに康士おじちゃんのいる東京ってとこは、地震が多いけど、関西は地震はないところなのよ。ホレッ!あっちであそんできなさい」
と言った。このあとすぐに、父さんはこのことをぜんぶ忘れてしまったらしい。物覚えのわるい人だ。でも母さんは、頭のどこかに『地震と本棚』が引っかかっていた。
地震の前の日の夜、母さんは健ちゃんを産んだ日のことを思い出して泣いていた。その日が健ちゃんのときと同じように、赤ちゃんがおなかにやって来てから、九ヶ月の最後の日だったからだ。とうさんは
「どうした?だいじょうぶ?」
と言いながら、母さんの頭をなでていた。
「今日で、健のときと同じ日数(にっすう)なの。あのときもこんなふうに、何ごともなくすぎていたのに・・・」
と答えて、母さんは泣いていた。そんなふうだったから地震のある日の夜中にも、母さんがおきるたびに父さんもおきていた。健ちゃんが母さんを泣かせて、父さんを起こした。父さんと母さんがやっと寝たころ、地震のほんのちょっと前に、おなかの中にいた赤ちゃんが、お腹をけって母さんを起こした。母さんの頭の中にはぼくが言った『地震と本棚』がよみがえった。そして母さんは立ち上がって
「地震よ!本棚!本棚、倒れる!」
とさけんだ。父さんは母さんを本棚に押しつけてだきしめた。ぼくはその間に入っていた。だからぼくたちは、本の下じきにならずにすんだ。
父さんはこのことを手紙に書いた。

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《手紙》

父さんは、赤ちゃん誕生(たんじょう)と地震の騒ぎが少し落ち着いたころ、だれかに手紙を書いていた。
最初「ワープロは涙で文字がにじまないから、便利です」と書きだしていた。だいぶきざだなと思っていたら、次の日には消していた。
父さんは、どうせぼくが読んでもわからないと思っているし、(母さんに見られなきゃ大丈夫)と思っているので、母さんがいないときは、ワープロの画面は開けっ放しだった。父さんはばれていないと思っているけれど、ぼくは父さんがワープロを打ちながら、泣いていたことを知っている。次に、こんなことが書かれていた。
「…多くの方がじしんで家族を失い、悲しい思いをされています。こう言ったら申し訳ないようですが、おかげ様で私のところは小さな家族がふえました。さわぎのせいで早産になりましたが、どたばたの末、多くの方のおせわになり、子どもが産まれたのです。
ところで、じつは地震の際には、我が家の6才のにぎやかな天使と、天国にいる天使、まだおなかの中にいた天使、この3人の天使のふしぎな力に救われました。お世話になった多くの方々には、もちろん感謝(かんしゃ)しています。しかし神さまでも仏さまでも、どこかにいらっしゃるのなら、そのお方にもお礼を言いたい気持ちでいっぱいです」さっきの話だ。
手紙はこんなふうに続いていた。
「子どもを亡くしたあとの私たち家族にとり、新しい赤ちゃんの誕生は強い望み(のぞみ)ではありましたが、赤ちゃんの誕生は、望み通りにいくとは限らないことを、私たちは知っています。またそれはきっと棘(いばら)の道だということもわかっています。時たまおそってくる恐怖(きょうふ)を、たぶん私たちは捨て去ることができません。
それで私たちは『赤ちゃんの誕生は神様が決めること』と思うようにしました。
けっきょく、神様は棘の道を与えてくださいました。今、目の前に長い棘の道が続いています。天使たちは私たち家族のきずなを強くしてくれました。非力を承知(しょうち)の上で、家族の力で強く生きようと思います。私たちが倒れそうなときは、どうぞ皆様、心のエールを送ってください」
読めない字ばかりだったけれど、「棘」という字がなぜか気になって、何回か紙に書いてみた。そして一年くらいたってから、「棘」と書いて、父さんに
「こんな字なんて読むの?」と聞いたら、
「『いばら』だよ」と言った。
「トゲトゲがあって さわるとささっていたいぞ。血がでるぞ」だって。でも父さんも母さんも、血なんかでてないぞ。
大人は時々、変な手紙を書くことがあるんだ。
「ねー、キーンちゃん」
「大人はそんなもんだよ」

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《『生きている』って何だろう》

ぼくが保育園を卒園(そつえん)するときに、父さんが保護者代表(ほごしゃだいひょう)であいさつをした。卒園するぼくたちは、一番前に立って会場のみんなの方を向いていた。父さんはぼくたちの横で、なんだか難しいことを言ったあと、先生たちに「長い間ほんとうにありがとうございました」と言っておじぎをした。
それからこんどはぼくたちの方を向いた。たいくつしていたぼくたちは、父さんが自分たちに話しかけそうなので、少しびっくりした。
「子どもたち!少しむずかしい話だけれども、聞いてください」父さんはまじめな顔をしている。
「私は二年前に子どもを亡くしました。とても悲しかったです。そのときに、その子をだいて『死なないで!生きていてくれ!何でもいいから!生きていてくれるだけでいい!そのかわりなら何でもしよう』と思いました。…子どもは生きかえりませんでした」
「…子どもたち!君たちをそだてることは、じつはたいへんです。私たちは君たちがいるから、しんどいと思うことがあります。君たちがいるから、仕事(しごと)をしなければいけません。君たちがびょうきをしたら、仕事を休みます。そしたらおこられます。君たちが泣けば私たちもつらくて、ねむれません」
「それでも子どもたち!聞いてください。君たちは生きています。君たちが生きているから、私たちは仕事ができるのです。仕事がしんどかった日、寝付かない君たちをずーっとだいているのはつらかったけれど、生きている君たちをだけることを、お父さんお母さんは幸せだと思いました。君たちの重さはいのちの重さです。幸せの重さです」
「たくさんの人のおかげで、今日君たちは卒園できます。この会場には君たちがおせわになった人たちが、たくさんおられます。その人たちに、今さっき私はおれいを言いました」
「子どもたち!君たちは生きていることで、私たちに生きる力とよろこびをくれました。だから君たちにも、今日ここで、おれいを言わせてください」
「ありがとう。生きていてくれてありがとう」
そういって父さんはぼくたちに、ていねいにおじぎをした。頭を下げた父さんにつられて、友だちが何人かおじぎをした。ぽかんと口を開けている友だちもいる。先生やみんなのお母さんたちの中には、泣いている人がいる。それを見て、友達はふしぎそうな顔をしていた。

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《忘れないで》

あれから何年か経った。このごろ父さんは、ぼくのことをよくしかる。
「何回同じことを言わせるんだ!」
母さんも
「さっさと宿題やんなさい!」
「早くかたづけなさい!」と怒る。

「生きていてくれるだけでいい!」
卒園の日、そう言ったよね。よっぱらうたんびに、何でも忘れてしまう父さんは、忘れてしまったのかな?・・・ぼくは忘れていない。
「生きていてくれて、ありがとう」
父さんは今でもそう思っているのかな?卒園式に来ていたおとなはおぼえているだろうか?あのときぽかんと口を開けていた友だちは、今なら
「生きていてくれてありがとう」の意味をわかってくれるだろうか?

おとなはいっぱい忘れる。子供は忘れる前に知らない。いっぱい泣いた日があったことを、父さんだっていつか忘れてしまうかもしれない。ぼくだって、忘れてしまいそうでこわい。忘れないで、父さん。ぼくよくわからないけど、あの時父さんはとてもだいじなことを話したと思ってる。忘れさせないで、父さん。何ども泣いたことはないしょにしてあげる。だから父さん!忘れないで。

「忘れないで」といえば、キーンちゃん。このごろあまり話していない。そうぼくにはキーンちゃんがだれなのか、もうわかっている。
「健ちゃん!」そう言ってみた。
「お兄ちゃん!ふっふっふ。いつごろわかったの?」
「だいぶ前からね。ところでこのごろ、そのー・・・健ちゃん、いややっぱりキーンちゃんだ。ぼく、だんだんキーンちゃんからはなれていっているような気がするんだ。ごめんね。じつはきみのことを、あまり思い出さないときがふえている気がするんだ。つらいときに話し相手になってくれたのに、おん知らずでごめんね」
「いいんだよ。それでいいんだよ、お兄ちゃん。少しずつ忘れていったほうがいいんだよ。どうせ完全(かんぜん)には忘れないんだ。あんまりべったりくっついていたら、歩きにくいでしょう?ときたま思いだしてくれたら、それで充分(じゅうぶん)だよ。そうそう、毎年ぼくの誕生日には、ハッピイバースデイをうたってくれるじゃない。そのとき父さんも母さんもお兄ちゃんも、ちょっぴり涙ぐむよね。それで充分なんだよ」
「ほかの日にあんまり思い出さなくなっても、さびしくないの?おこってないの?」
「とんでもない。少しずつ忘れたって、少しずつはなれていったって、ぼくはけっきょくみんなの心の中の整理棚(せいりだな)にいるんだよ」
「整理棚って・・・ぼくも父さんも、整理ってにがてで、母さんによくしかられるよ。だから、きっとぼくの心の整理棚ってめちゃくちゃだよ」
「いいや、そんなことない。ぼくのことでたくさん泣いて、ぼくのことをたくさん話して、ぼくのことをたくさん聞いてくれたでしょう? そんなことをちゃんとしていたら、整理できてくるんだ。心の中のどこかの棚(たな)に、ぼくの居場所(いばしょ)を作ってくれているんだ。棚の扉(とびら)もカチンといってちゃんと閉まるようになるし、そこにかぎはかかっていないから、時々用があればいつでも取りだして、またしまえるんだよ。ちゃんと泣いていない人は、じつは強そうに見えても、弱虫のこわがりなんだ。何の整理もできていない。心の扉の閉め方もちゃんと知らないんだ。そんな人は不安で仕方がないんだろうね、亡くなった人の話が出そうになると、泣くんどころかむちゃくちゃにおこったりするんだよ。お兄ちゃんも父さんも、母さんも大丈夫だよ」
「そんなもんなの? でも、でも忘れるって、やっぱりさびしいよ。キーンちゃん」
「少しずつ忘れていいんだよ。少しずつお別れなんだ。そうしてお兄ちゃんは、少しずつおとなになるんだ。とりあえず、さようならを言うよ。いつでも会えるよ。だっていつでもぼくは、ほら、ここにいるんだから。お兄ちゃん、さようなら」
むねのどこかがキュンとなった。左耳のおくで、かすかに「キーン」と音がした。思わず声に出してしまった。
「忘れないよ! キーンちゃん」

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